なぜ楽器開発に挑むのか

波紋堂は、楽器開発を始めました。
そのきっかけや理由はいろいろとありますが、でも結局は「面白いから作っている」に尽きます。
ここでは、いったい何を面白いと思っているのか、記していきたいと思います。

波紋堂が開発している楽器「ンビラボン」のCG画像
波紋堂が開発している楽器「ンビラボン」のCG画像

とある映画監督の言葉から

「映画には『2時間』という、とてつもない制約がある。でもだからこそ、素晴らしい作品が生まれるのだ」

私はこの言葉を聞いたとき、「そうか!なるほど!」と感心しました。
そして、いままで人類が作ってきた数多くの映画を頭の中で思い浮かべると、ジワジワと感動してきました。
これは多分、ウォン・カーウァイ監督の言葉だったと思います。(もう20年も前のことですので、うろ覚えです。すいません。)
しかしこの言葉が、長年、頭の隅っこにいつも居座り、深いところで私の行動の規範になってきました。

映画と楽器がどう繋がるか

映画の2時間という制約〜という言葉、これは「制約の中にこそ自由がある」という意味になります。
この考え方を意識しながら生活をすると、だんだん世界が違って見えてくるから面白い。

そしてある日、ふと思いました。
「なぜギタリストのロックと、キーボーディストのロックはこんなにも違うのか」と。
例えば、ジミ・ヘンドリックスとプロコム・ハルムの違い。

「いやいや、人物も楽曲も違うのだから、当然すべてが違うでしょ。」と突っ込まれそうですが。。
でも例えば、一つ特徴をあげるとすると、キーボーディストの方が少し複雑な音階を使う傾向があると思うのです。

また元々、ロック・ミュージシャンにピアニストは少ない。なぜ少ないのか?
少ないながらも有名なアーティストと言えば、例えばビリー・ジョエルやエルトン・ジョンといったところでしょうか。やはりピアニスト独特のロックだと思えてなりません。ギタリストには無いセンスが光っています。

つまりこれは、

「使う楽器が違うと表現も違ってくる」→「楽器がミュージシャンに影響を与えている」

のではないでしょうか。

私はこれを、「『楽器』という制約が生み出す自由」と捉えました。
映画の、「『2時間』という制約が生み出す自由」と同じだと考えたわけです。

楽器を創るということはつまり

・映画の『2時間』という制約
・音楽の『楽器』という制約

この共通点にとても興味が湧くのです。
つまり楽器を創るということは、制約を創るということ。
同時に、制約を創るということは、自由を創るということ。

このグルグル回るような状態をわかりやすく取りまとめると、「制約と自由の境界線を創る」ということになります。

新しい楽器を作り出した瞬間、それは制約と自由の境界線になるのです。
・「この楽器ではできない」という制約
・「この楽器だからこそできる」という自由

まさにここが、楽器を開発することの面白さであり、醍醐味だと考えているわけです。

まとめ

なかなか込み入った内容になってしまいました。

でもこの「制約と自由の境界線を創る」という感覚は、他のものではなかなか感じられない一種独特なものです。
なんだか抽象的なことばかり考えていますが、これはこれで楽しいものです。アレコレと妄想しながら、日々楽器開発に勤しんでいます。

まだまだ妄想は広がり続けていますが、時間と体力と経済力が続く限り、コツコツと前進して参ります。

なお文具や雑貨も引き続き開発・販売を続けています。
波紋堂のオンラインショップはコチラ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です