スキマなんてつまらない。でも臆病なのでスキマに隠れます。

私は臆病者です。動物で言えば、ウサギやネズミでしょうか。いわゆる小動物です。どこかのスキマに隠れてじっと身を潜め、何度も周囲を警戒しながら食糧を探す。そんな動物と同じです。

スキマに住んでいる動物の絵
スキマに住んでいる謎の動物

スキマは狭い。

スキマは狭い、当然ながら。 でも、ただ狭いだけではありません。薄暗かったり、息苦しかったり、寂しかったり。何も良いことはないように思えますが、ひとつくらい挙げるとすれば、ちょっとだけ「安心」がある、でしょうか。

世の中には「ベッドと壁のスキマが好き」という人がいます。結構います。おそらくそれは、スキマの安心を得られるからでしょう。

しかしながら、いつまでもスキマに入って安心しているわけには行きません。慣れない外の世界に、たまには出て行かなければ生きていけそうにありません。

外は広くて怖かった。

外の世界に対して、恐れを感じたことはありますか?

初めての学校、初めての職場、初めての海外旅行。みなさんそれぞれ、ひとつくらいはあるのではないでしょうか。

私はと言えば、それら全部です。もしかするとこの世に生まれる瞬間ですら「なんか嫌だな。。」と思っていたかもしれません。

そして最近、特に恐れているのは「社会」です。

会社を起こして、製品を作って、販売する。この言葉だけ見ても、なんてことはありません。

でも、自分で考えた製品を、自分で考えた売り方で売る。それは、もろに「社会」に晒されるということでもあります。これだけ外の世界を恐れてきた私には、とてつもない恐怖なのです。

ついでに臆病であることも晒す。

「怖いなら、やらなければいいじゃないか?」

確かにそう言われそうです。でもそうもいきません。ずっとスキマに籠もっていると、やっぱり外に出たくなるのです。

「怖い!」「でも外に出たい!」

このジレンマに耐えきれず、ついに自分を社会に晒す決心をしました。この決心をするまでに、大変な年月がかかりました。もったいない。

その悩み続けていたころを振り返ってみると、やはり一番の問題だったのは「臆病であることを知られる」ことを恐れていることに、自分でなかなか気がつかなかったこと、ではないかと思うのです。

「自分の恐怖」が「自分の恐怖」で隠されていたわけです。 ですから、ここではもうカミングアウトしてしまいます。「私は臆病である」と。

なぜ自分で気づけたか。

ここからが重要なポイントかもしれません。

なぜ自分で自分の臆病さに気づけたか?

それは、思い切って外に出たからです。

恐怖を感じたまま、外に出ました。「必死の覚悟」で。

最悪の事態ばかり考えながら、捨て身の気持ちで、外に出ました。多分自分はダメになる、と思い中がら。

そうしてみんなと接して、会話しているうちに、気づいたのです。「私は臆病である」ということに。

人と出会うということは、自分と出会うということ。

ときには人と自分を比較して、ガッカリすることもあります。でも、すぐに開き直ればいい。だれも困りませんから。

まとめ

つまり、無理やり外に飛び出してみたら、「やっぱり自分は臆病なんだ」とわかった、というお話でした。

決死の覚悟で外に出る、という部分は誰にもおすすめできません。でも私みたいな、スキマに住んでいる臆病者が、ちょっと外に出たからといって、大したこともなく、そもそもだれも気づかない、というだけのことです。本人は決死の覚悟なんですがね!

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